このサイトは移転しました。
このブログは以下のサイトに引越ししました。
山旅.com
yamatavi.com
さらに綺麗な画面に対応し、見やすくなりました。
登山ブログと統合し、より充実したサイトを目指します。
今後ともよろしくお願いいたします。
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ブログの更新ですが、、もう少しのところで中断していますね。せめて家に帰り着くまでのブログをしっかり完成させたいと思います。
今日はA型肝炎の予防注射に行ってきました。
アジア圏に行ったときの事を考えての予防注射です。
汚染された食べ物を食べることで感染するため、途上国への個人旅行では必須だそうです。
「エイムゲン」というワクチンで、これは2~4週間おきに2回打つことで18ヶ月程度の免疫がつくというものです。1年後ぐらいに3回目を打てば、5年程度の免疫がつくそうです。
今回は旅行期間から考えて2回で十分そうです。
来週は別の(日本脳炎か破傷風)を打ってもらおうかと思いましたが、医者にダメだといわれました。説明書には6日あければ良いとありましたが、念の為だそうです。
注射の後、以前電話で相談に乗っていただいた薬剤師の人が声をかけてくれていろいろと教えてもらいました。
まあとにかく再来週(7/23)に2回目にいってきます。
(任意接種:\5,250)
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空港を出た日は東京ゲートブリッジの麓にあるキャンプ地に泊まった。あらかじめ電話しておいたら、料金は明日の朝で良いと言ってくれた。
冬だけあって、他に2張りぐらいしか見当たらなかった。だだっ広い敷地にバラバラと張っていたので顔を合わせる事もなかった。
この日は神奈川の友人の家へ。どういうルートで行こうかな。キャンプ地から海を眺めると富士山がくっきりと見えた。
向こうに台場が見えたから行ってみることにした。
!!
1時間に一回とか動かないのかなぁ
小さな自由の女神がいた。日本の経済的自由度オリジナルと比べてこんなものかなぁと考える。
ここからは都心がよく見わたせる。
吊り橋は自転車では渡れなかったので、北上して都心を通過する。
東京の色は無機質でシンプルだ。
と思いきや、近づくと結構雑多な雰囲気。やはりアジアと基本的な雰囲気は共通している感じる。この看板の無秩序さがそう思わせるのだろうか。
新しくできたというスカイツリーを目指すが途中で面倒になってやめる。
皇居に寄ってみたらランニングしている人がたくさん。いつの間にか健康志向が進んでるなぁと思ったら、東京マラソンが近いと聞いた。
友人宅へ転がり込む頃には、また暗くなってしまった。サクッと再会を祝う。
乗り継ぎ中継地のイスタンブールにて静かに帰国の時を待つ。
広くて人気が少ない場所に移動し、のんびりと組み立てを始める。
慎重にというわけではないが、ゆっくりと進める。時間がかかる。
時折この階には止まらないはずのエレベータのボタンを押しに来る人がいて、「ここには来ませんよー」とか言いながら作業を進める。
中国でこんなことをしていた時は、軽く人だかりができたのに、ここでは静かなものだ。
そしてすっかり元どおり。破損個所も見当たらなかった。
ダンボールはゴミ箱の横に置いておけば良いと言われた。
さあ。出発だ。しれっと空港を出発する。家のある岐阜まで、約700km。最後の旅が始まる。
空港のある街リド・デオスティアのビーチ。壮大な旅も終わりだ。
ローマ中心部から約40km。ローマに住む人たちが週末に気軽に行けるビーチである、リド・デ・オスティア。交通量が多く、路肩も狭い為、決死で自転車を漕いで移動した。
オスティア近郊には広大なローマ都市遺跡が残る。
予約していた宿へ到着。
遠くからお疲れ様。とということで、無駄に広い部屋を用意してくれた。
街の夕焼けが見れる良い部屋だ。
この旅で何百回の夕日を見ただろうか。
と言うことで、街にある自転車やさんに伺い、自転車の箱をもらってきた。
一日かけてのんびりと解体、梱包作業をした。自転車本体を入れると意外とスペースが少なく、いろいろ詰め込むのに苦労した。
トルコ航空だけにイスタンブール経由。一年近くかけて走ってきたところを一気に戻るのは、なにかあっけない。
ついにローマへ到達。 コロッセオの前で。
ローマに着く手前、リド・ディ・カステル・フサノに着くころ、雨が降ってきた。そこから少し海岸線を走ったところにある、リド・ディ・オスティアで泊まろうと思っていた。ローマにつく日は晴れが良かったからだ。
しかし、天気予報では暫く先まで雨の予報が出ていた。待っても無駄だなぁということで、やむなくローマへ向かう。
ベンチが並ぶリド・ディ・カステル・フサノのビーチ。
オフシーズンだからか雨だからか、雰囲気は寂れている。
雨はどんどん強くなってきた。ローマへと続く最後の道は交通量が多く、道の端は植えられた松のような木の根が作るアスファルトの割れ目や水溜りがストレスだった。
ローマの城壁をくぐる。生きた古代遺跡、イタリアの中心へと。
興味を持ってくれた夫婦が話を聞きに来てくれ、写真も取ってくれた。
その後の宿探しは難航した。前にも書いたとおり、イタリアの安宿はアパートの一室と使っていることが多い為、大都市ローマでは自転車を置くスペースが無いと断られたりした。静かに盛り上がれる個室が良かったのだが、それはあきらめ、トルコからギリシャまで共に走り、すでに韓国へ帰っているトングから聞いていた宿に向かう。
値段失念(20ユーロ?/ドミ)
朝食、夕食付、ホットシャワー、Wifi
※Wifiは滞在初日を除いて殆どつながらなかった。接続会社のトラブルだったといっていたが、、インド人だしな。
※日中は掃除などの為、基本的に滞在不可の点が不便。
※朝晩は簡単な食事が出来、週末はシャングリアが振舞われるのでおトク感は抜群。
※インド人やミャンマー人がやっている宿で、最初は独特の態度がやっぱり面倒だったけれど慣れるといいスタッフばかりで良い。
※付近はインド人や中国人が多いエリア、客はラテン系が多く騒がしいけれど仲良くなれて宿内は楽しかった。
南米時代を思い出す同宿のブラジル人やペルー、アルゼンチン、コスタリカ人など、中南米の旅行者と仲良くなったり、夕食を共にしたり、安い酒で騒いだり、結構楽しい宿だったけれど、写真が残っていないのはなぜだろう。あまり安全な宿には見えなかったからかなぁ。
前回は行かなかったはずのバチカン博物館へ。
途中退場ルートなしの広大な館内を順路通りに一周するので時間がかかる。私はもう一度見たいものがあったので二週したけれど雨なので丁度良かった。
個人的には古地図が描かれた回廊が面白かった。道中見てきたとおり、山の上に教会を中心とする町が描かれていたからだ。
久々に日を浴びたコロッセオはまた違った表情をしていた。ローマに着いて先ずここを訪れたことからも、ここは私の中でローマの象徴なのだろう。
ローマ市の中心といっても良い場所に聳える壮大なエマヌエーレⅡ記念モニュメント。宿の仲間がウエディングケーキと呼んでいたのが面白かった。
街を適当に歩いていると良くここにたどり着く。
記念塔の周りは観光客や市民(?)が四六時中歩き回っている。
街の小さな教会も古く芸術的だった。
トレビの泉は大改装中で水すらなかった。願いを叶えに来た人たちは残念そうに眺めていた。
夕暮れの街をスペイン広場の階段の上から眺める。幾つもの教会が重なって見える風景は幻想的だった。大都会では通常感じることの無い感覚だ。
きらびやかな共和国広場の夜景。観光客は少ないけれど、結構綺麗だなぁと思う場所。
共和国広場に向かって立つ遺跡のような教会に入るとまるで地下にあるかのような感覚を受けた。
ローマ中央駅。切符販売機の所にいたおつりをかすめ取って行く人たちは見当たらなくなっていた。5年前より明るく健全な駅に見えた。
サンタマリア・マジョーレ聖堂。教会らしくない作りではあるが目を引く豪華な建物だ。
駅の近くに位置し、近くに大き目のスーパーもあり、中で雨宿りや時間つぶしに最適。
ローマに来たら訪れなければならないバチカン市国、サンピエトロ大聖堂
世界を代表する教会建築はいつみてもでかい。
内部も見上げる大きさ。
実はいろいろなものを見てきたせいか、または二度目だからか、こんなもんだったかなぁと思ったくらいだけれど。
前回も来たけれどやっぱり高いところに登りたい。聖堂の上に登る。手前の広場や、ローマの町が美しい角度でぐるっと見渡せる絶妙な高さだと思う。
パンテオン。ギリシャ式の入り口の向こうに円柱状のドーム天井を持つ建物がある変わった建築。内部は教会施設だ。
ベネチア広場に現れた虹。
晴れたり雨が降ったり、滞在後半は梅雨のような雨では無くなってよかったけれど、天気が良く変わる。
コロッセオに続くかのように連なる都市遺跡群。街の中心にこのような遺跡が残っているのは凄い!と前回思ったが、古い町並みを壊さずにそのまま今でも使っているイタリアの小さな町々を見てきた後では、それが朽ちただけのようにも見える。
天気がいい日は殆ど無かったが、最終日は雨に洗われた綺麗な空気を見せてくれた。
それだけで来てよかったと思わせてくれた。
ローマを目指すシルクロードの旅はここに完結。
やり遂げたんだろうけど、この時点では実感は何も無かった。物足りないのかもしれない。いや、それよりも、この後の事を沢山考えなければ無いからだ。まずは次をどうするか。それすら決めるのに時間がかかる今日この頃。
とりあえず次の旅はなし。それはローマに着くころには意思が固まっていた。
社会復帰をしてみようか。。5年以上に渡る旅の中で、突拍子も無い人生を突き進む事を続けるような出会いは見つからなかった。ではその長い非日常の中で得たものは何だったのだろうか、それを考えながら次へと進む。
カンポバッソ~ローマ 7日間(走行5日) 走行距離362㎞ (累計13144㎞)
雪の降る中橋の下で停滞。
山の中での二泊、キャンプで連泊したのは初めてかもしれない。誰にも見つからない場所だと思ったが、朝猟師が近くで鉄砲をぶっ放してびっくりした。両氏は僕のテントに気づいたのかどうかは分からないが、すぐに去って行った。
天気は悪くなかった。また昼過ぎには崩れてくる予報だった。
大きな山が見えてきた。「マテーゼ」と呼ばれる公園だ。この山脈を回るように進む。
景色に不釣合いな大きな教会。このあたりが峠だった。後は海まで下り基調。
山肌にへばりつくような街。ペスケという街だ。
感じの良い旧市街地の細い目抜き通り。
そして目的の宿にたどり着く。ひょうきんなオーナーのニコは珍しい外国人気持ちよく迎え入れてくれた。
Antica Dimora 191(クリックで地図)
30ユーロ(値引後)/ダブルルームシングル使用
ちなみにイタリアの朝食はクロワッサンとコーヒーだけということが多い。
従業員のニコと。
プレーゴ(どうぞ)を連発するのがおかしかった。
車も頻繁には通らない旧市街は昼も夜も静かだった。
翌日は予報どおりの一日雨で少し出かけたけれど、基本部屋でゆっくり過ごした。
旧市街の中心には結構立派なギリシア神殿風の教会が立っている
路地
イゼルニアを立つ。近くの山にも雪が降った。
峠のトンネルを越えると、晴れてたら最高なはずの眺めが良い下りが待っていた。
平地へ出るとまもなく海沿い。カッシノという街の手前で海沿いに続く道に左折し、のんびりした川沿いの田舎道を走る。
廃屋は変に人の気配を感じてしまい、怖いのだが、何も無ければ快適な場所だ。テント乾かさなくっていいし。
廃ビルの上層階から取った朝。
走り出すと遺跡があった。奥に見えるのはミントゥルノと言う街。
綺麗な雰囲気の港町、フォルミア。背後に雄大な山が見える。
半島に突き出た旧市街が魅力的なガエタと言う港町。
朝の光を浴びる森。うっそうとした森で、昼でも歩くのをためらわれる感じだった。
久々に綺麗な空。サバウディアのそばのカヌーを楽しむ人がいる池のほとりで、湿気でべたべたになったテントを干す。
しばらく海沿いにサイクリング・マラソンコースが続く。サイクリングを楽しむ人もたくさんいた。珍しく英語が話せるサイクリストに声をかけられたので話しながらすすむ。
陸側には湖があり、こちら側の景色も良い。天気も良くてとてもいい日だった。
ローマ県に突入。大詰めだ。って感じがするようなしないような。
この松のような木は見た目は悪くないのだが、根っこで道が膨らんで困る。
ローマに向けて最後のキャンプは冬のビーチでしっぽりと。怪しい雲が近づいている。
海の屋台(?)の裏に隠れるようにテントを張った。
イタリアの北海岸は断崖というか、荒い風景が続いた。でも決して殺風景という意味ではない。
南の方はしばらくギリシャと同じく、オリーブ園が見られた。
海に近い道を走るが、海側はほとんどキャンプを張るスペースは無かった。道路の反対側に場所を探してキャンプする。湿気が多い雰囲気がどこか幻想的だった。
VIA TRAIANA (ヴィア・トライアナ)という遺跡公園が道沿いに続く。塔が立っていたり街のようなものがあったり。
旧市街地は重厚な教会や狭路になっていて雰囲気がある。イタリアは観光地でない町でも歴史地域が残されていてすばらしいと思う。
重厚な雰囲気もなぜか海に近づくと南イタリアらしい雰囲気になっている。白い壁を多用しているからだろうか。
次に足を止めたのは、Polignano A Mare (ポリニャーノ A マーレ)という町。この町も旧市街地が残されていて、それは海の断崖に立っている。
それはなかなか壮絶な光景だ。
大きな旧市街のあるバーリ。中心となる城塞や写真の教会も規模が大きい。イタリアには重圧なものもあるが、こういうフラットなデザインの教会も多い。
大きな町でもレストランはずっとやっているわけではなく、夜8時頃から営業を始める。街に泊まるときはいいものを。と思っていたが、結局待ちきれず、割といつでもやっているバルで軽く食べて終了。イタリアは当然だが、軽食は主にピザとなる。
手前は名前は忘れたけれど、ピザよりもっと伝統的なピザみたいなもの。トマトがつぶさずに乗っけてあって悪くない。ピザより安いし。
五稜郭みたいな城塞。これもイタリアには点在する。
モルフェッタ
トラーニ
Wifi、トイレシャワー付き、冷蔵庫、エアコン、Wifi、朝食付き
シングル使用。29ユーロ~
物腰がやわらかくフレンドリーな若い夫婦(?)がやっている宿。部屋も共同スペースも綺麗で、ほかの宿泊者がいれば楽しい宿だっただろう。翌日は雨なので最低二泊することにした。
夜の旧市街を歩いてみた。人通りが少なくて若干危なっかしい気もするけれど、とてもいい感じだ。
ところどころにバルがあって若い人たちが集まっていた。
翌日は雨も止み、出発した。上でB&Bは看板を出していないと書いたが、この宿は小さな看板を掲げていた。
しばらく海沿いの道を走り、半島をショートカットするため、内陸に入る。半島はガルガーノ国立公園となっているが、標高差もある為、この天気では楽しめないと思ってパス。
向かい風が強くてうんざりする日。雨もぱらつく。
風は余計強くなるけれど、雨は防げる橋の下でキャンプ。
あの山あたりが国立公園かな。
山の上の道沿いに町が見える。あのあたりを走るのもよさそうだ。幹線道路じゃないので道はのどかなのだけれど、風があって大変。
それに一時冷たい雨が降った。
大嫌いな風力発電所が点在している。
風力発電所がある=風が強い地域。
海沿いに戻ってきた。
風が強くて大荒れの海を見ながら久々のビーチキャンプ。
線路を渡って進入したので人はいない。木で風をよけれる場所を探した。
丘陵地帯を越え、ダム湖まで登る。川沿いの道なので、標高は自然に上がってゆく。
ダム湖のど真ん中を突っ切る橋。ここに来る前は地図がずれているのかと思っていたのでちょっと意外でわくわくした。
お城のようだけれど、ダム湖よりはるか山の上に立つ町。古くから崖の上や断崖に街を建てていた理由は何だろう。
橋の下でキャンプを張る。標高が上がってきているので寒い。翌日は雪の予報になっていた。
さぁ。片付けて出発しようか。。さわやかな一日の始まり。
テッサロニからパトラこの区間は本当に恵まれていた。
ラミアの町で買い物を済ませて進む。しばらく高速と平行してから山岳地帯へ。
ラミアの町へ続く高速道路。
みるみる高度を上げていく。
峠を越えると一面の山。このあたりは国立公園になっている。
山に囲まれた盆地にあるちいさな町、アンフィッサのそばでキャンプを張る。
山の中にいいところはいっぱいあったのに、ろくでもないところになってしまった。
最初から結構急登。アンフィッサの町を下に見ながら。
教会がイタリアっぽくなってきた?
そんなに楽でもなかったが、標高があがるにつれ代わっていく景色が気持ちいい。
この辺でキャンプしたかった。今回はタイミング悪い。
レトロなキャンピングカーで旅をするメキシコ人夫婦が止まって声をかけてくれた。
一面のオリーブ園を見渡す絶壁にたつ村(写真は分かりにくい)こんなところに村を作ろうと思った人がすごい。
夏は多少にぎわいそうなビーチリゾート、イテア。山岳地帯を抜け、湾へ出た。
小さなボトルに入って売っているギリシャのお酒「ウゾー」はトルコの「ラキ」と同じだと思う。水を混ぜると白くなるところも一緒。くせのある味はクセにはならず、好みではない。
人目につかず、木々もいい感じで湾が見える連泊したくなる場所。
3日目も好天が続く
対岸にイテアの町と山の中腹に見えるデルポイ
春が近いことを感じさせる風景
亀仙人の島
海に近づくと水はとても綺麗だった。
Galaxidi という小さな観光化された町。とても素敵な雰囲気だった。
いつかしっぽりと訪れてみたい。
海岸線は山がちなので入り組んでいて、アップダウンが多い。それでも真っ青な海を見ながらのサイクリングは気持ちよい。対岸はペロポネソス半島だ。
町外れの海岸にある運動公園の駐車場にキャンプを張った。
朝焼けがにじんでとても綺麗。でもそろそろ天気が悪くなってくるかなぁと感じる。
古い港と山に城砦を持つ町、Nafpaktos。ここもちょっとした観光地になっていそうだった。昼食をとって先へ進む。
大きな橋が見えてきた。
ペロポネソス半島と本土を結ぶ、リオン・アンティリオン橋。いかにも自動車専用だったけれど、自転車も通らせてくれた。料金所で聞いたら、歩道は階段があるから走っちゃだめって教えてくれた。
半島側に渡って橋を眺めるカフェで一服。パトラの宿を調べる。
パトラの町でドイツから着た三人組に会う。イタリアから船で渡ってきたばかり。
なんとリアカーに犬をつれているという仕様。
船まで一日空いたので、町を散策する。
町を見下ろす丘の上へ。ぺトラ要塞を見にやってきたのだが、営業日が少ないギリシャ。やってなかった。
トルコ風モスク風教会。
町一番の大きな教会
中の巨大な木製シャンデリアがなかなかインパクトあり。
そしてフェリーへ向かう。待合室でほかのサイクリストを発見、コワモテの女の子だったが、すぐに仲良くなれた。エマという名のフランス人でヨーロッパを周遊中だった。
車と同じように船倉に積み、あとは到着までのんびり過ごす。
特に部屋を取っていないので、バーラウンジでぐたぐた過ごす。お酒が異常に高いけど、エマがそれでも飲みたがるので付き合うハメに。でも一人だったらヒマだったのでよかった。他の客はトラックドライバーがほとんどだった。
夜には映画館みたいなところで横になって寝た。
翌朝イタリアの南端、ブリンディシの港に近づくと、壊れたフェリーが見える。最近事故したフェリーらしい。
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